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ー第3章ー 2.Château de Chillon

Author: 土浦タカ
last update publish date: 2026-09-09 15:04:15

「イレヱヌ、モデルになるんだって?フランソワーズから聞いたよ」セシルが目を輝かせながらイレヱヌに訊いてきた。もう知られているのか、と思いつつ「まだ決まった訳じゃないよ」と否定をすると「何で?勿体無いよ。イレヱヌなら絶対に成功出来るよ!」とセシルが断言した。

自分以上に自分の事をセシルが信じてくれている、という事実がイレヱヌの胸を熱くする。セルジュ・コクトオと名乗ったパリ・プラニングというモデル事務所のスカウトマンは案の定イレヱヌの母がジャンヌだと知っていた。恐らく其れも理由で声をかけたのだろう。寧ろ其れが理由かもしれない、とイレヱヌは推察した。人前で服を着て歩いたりポージングを取る仕事はマヌカンしか無いと思っていたが、現在はファッションモデルとして仕事があり、役者や歌手のように事務所に所属するのが普通ということをイレヱヌはセルジュと出会って初めて知った。時代は随分と変わったらしい。

ただしモデルの世界では180cmはあるのが普通だがイレヱヌは177cmだ。ランウェイで歩いたら相当みっともないだろう。そして両親の七光りのお陰で仕事を取っていると陰口を叩かれるのも目に見えている。「そうとは限らないよ……。ママやパパの名前が出されそうなのも厭だし」と思わず弱音を口にすると「でもイレヱヌ、其のパパやママの事を引っ括めてイレヱヌじゃないの?」セシルはイレヱヌの目を真っ直ぐに見据えながらそう言った。

「“機会チャンスが二度も扉を叩くと思うな。”って言葉知ってる?こんな機会チャンスもう来ないかも知れないよ?」セシルが真剣な顔で語りかけてきた。

(其れは間違いない)イレヱヌは勿論その事は理解わかっている。興味が無い訳ではない。単に自分は臆病者なだけなのだ。逃げる理由が欲しかった。「取り敢えず、パパとママに報告しなくちゃ」

「おめでとう、I。本当に凄いわ」電話越しにジャンヌの高揚が伝わってくる明るい声が聞こえた。実家に電話をしたところ、アンリエッタが電話に出た。理由を簡単に説明し両親に取り次いで欲しいと簡単に伝える。アンリエッタは「おめでとうございます。イレヱヌ様。」と言った後にジャンヌに変わった。母は何時まで経っても少女のようだった。マリリン・モンローが演じる妖艶な大人の女と無邪気な少女のような内面が同居している人間だった。

「セルジュからも連絡があったのよ。“一目で君の娘だと分かった”って。あんなに小さなMa poupée私のお人形がこんなに立派なレディになるだなんてママン想像もしてなかったわ」「あんたが誰より綺麗な女の子だなんて、ママンが誰より知っていた筈なのにね」ジャンヌの声が感極まり震えているのが伝わった。絹糸シルクスレッドの様に柔らかく繊細な声だった。

エドワアドはモデルをするかどうかはイレヱヌの自由にしたら良いと云った後「但し学校の勉強を最優先にしなさい」「若しも仕事で役立つと思った時にはパパやママの力は遠慮無く使いなさい」というアドバイスを送った。恐らくパパはこうなる想定はしていたのだろう、とイレヱヌは悟る。パパは常に先の事を想定して行動しているような気がする、と思った。

「イレヱヌがモデルになるのね……きっとそんな日が来るってあたしは思ってた」顔を輝かせながらジャンヌは大喜びしてはしゃいでいた。何時までもジャンヌは少女のようだとエドワアドは思う。

「まだ確定はしていないよ。其れに今は何よりも勉強を優先させなくては」笑いながら窘めつつもエドワアドは思案する。

(恐らくイレヱヌの容姿だけでなくジャンヌが母親であることも声を掛けられた要因だな。あの子も薄々気づいているようだが。しかしあの世界は平気で人間を搾取し襤褸雑巾にして切り捨てる連中が多すぎる。私やジャンヌの名前がある方があの子を守ってやることが出来るだろう。其れなりに仕事は舞い込むだろうが、万一上手くいかなかったとしてもあの世界に行けば何処かの富豪や王族と繋がりが生まれて結婚をするという道もある…。モデル業界は仕事内容で精神を病む可能性もあるし、有る程度顔を売った後にビルにCBSのトワイライト・ゾーンやガンスモークに出演は可能か打診してみても良いかもしれない……。)

亜米利加のメディア王ウィリアム・S・ペイリーはコロンビア放送システムの社長時代からの旧知の仲で、エドワアドはCBSの番組のスポンサーも務めていた。パーティーでは「イレヱヌは今に大変な美人になるだろうな」「若しも女優を目指すなら最初に出演させるテレビ番組はCBSで検討してくれ」とウインクをしながら言っている。周りはほんの冗談だと思い笑っていたが、エドワアドは此れが冗談に見せかけた本音なのだと気付いていた。エドワアドは何処までも経営者的な現実主義者リアリストだった。

両親共に反対はしなかった。此れは予想していたことだ。やはり自分がどうしたいかだろう。自分の夢ややりたいこと、自分の居場所と言ったものが見つからないのが今のイレヱヌの最大の悩みだった。イレヱヌは自分だけの安住の城が欲しい。曾てのプラザホテルのような自分の城だ。金剛石ダイヤモンドよりも頑丈で誰にも皹入ることは出来ず、柳よりもしなやかで決して折れる事がない。シヨン城よりも他者が立ち入ることの出来ないようなそんな城が欲しかった。其れは恐らく実家ではない、そして何れ卒業するサン=ポウルでもない。自分で見つけて行かなければならないと分かっていた。モデルが自分に出来るかは分からないけれど、若しも自分の城が見つかるならば挑戦する価値がある、と思った。

「ねえセシル。あたしはモデルになることを目指そうと思う」セシルは目を輝かせる。「うわあ、其れって最高!」セシルはイレヱヌを強く抱き締めた。仔犬が甘えてくるような仕草だ。「今日は僕たちの輝かしい未来の第一歩だね、イレヱヌ」イレヱヌは強く頷く。セシルが喜んでくれること自分の大きな目標が見つかったこと、其れが堪らなく嬉しかった。其の日は二人とも興奮してなかなか寝られず寝台ベッドではしゃぎ続けた。「僕は休日はなるべく仏蘭西に来て歌を歌うよ」と満面の笑いでセシルは宣言した。「最初はパートタイムで月に何度か入る。卒業する頃には有る程度名前と顔が売れてるだろうから其処から更に活動の場を広げる。何れは赤い風車ムゥラン・ルウジュにだってブロオドウェイの劇場にだって立ってみせる」

其の夢にイレヱヌの胸が高まった。セシルと居ると何か此方が高揚するような事が起こる。自分の恋人の素晴らしさを再認識した。「あたしも、負けずに頑張るセシル」イレヱヌもそう宣言する。「何処まで行けるかは分からないけど、やれるとこまで頑張りたいの」セシルは笑って頷き、「大丈夫。イレヱヌなら出来るよ」と言って接吻キスをした。

そして事務所と契約をした。未成年は保護者の許可が必要なため、態々ジャンヌがプライベートジェットで巴里まで来たので驚いた。ジャンヌはオーナーのフランソワ・ラノと親しげに挨拶を交わしていたことから(やっぱりスカウトされたのはママンのお陰だ)と確信した。

イレヱヌとジャンヌはパリ・プラニングまで赴くとポロライドの写真を数枚撮られ、即契約した。“親の七光り”と陰口を叩かれるだろうと思っていても、イレヱヌは胸が高揚するのを感じた。(自分の人生に予想もしなかったことが起こる)その感覚で足元がふわふわとした。

怒濤の春休みが終わりを告げ、学校が始まろうとしていた。長かったようにも一瞬だったようにも思える休暇だった。「僕達また離れ離れになっちゃうね……」と余りにも悲しそうにセシルが云うので「そんなこと無いよ。食事の時はビュッフェで会えるし、授業だって同じ時もあるじゃない」と微笑わらって慰めると「イレヱヌは淋しくないの?今まで朝から夜までずっと一緒だったのに」と露骨に拗ねた。困ったな、とイレヱヌは頭を悩ませる。こうなるとセシルはとことん機嫌が悪くなる。何処までも拗ねて相手を困らせてやろうとする幼児のイヤイヤ期にも似た我が儘な子供アンファン・ガテのようになるのだ。イレヱヌにとってセシルはボオイフレンドというよりも子供のような存在になることがある。すっかり困り果てたイレヱヌを見てセシルは「今日は僕をとことん甘やかして」と言って寝台ベッドに引きずり込んだ。そして本当に其の日は一日離して貰えなかった。何度限界を訴えてもセシルはまだ飢えと渇きを充たせていないかのように貪り続けた。

其の後、海に打ち上げられた人魚の様に全く動けなくなった真っ白な身体を見てセシルはにっこり笑った。

イレヱヌが自分と同じくらい淋しいと思ってくれない事が堪らなく淋しくて困らせてやりたくなり、思わず甘えすぎてしまった。自分の中には何処までも愛情を貪ろうと呻き声をあげて訴える獣が潜んでいる、とセシルは思っていた。其の獣がどうしてもイレヱヌというたっぷりと蜜を含んだ果実を延々と貪りたいと訴え続けていた。何れだけ触れても欲望で貫いても満足することが無い。もっと、もっとと内心の欲望に応じて居る内に無茶をしてしまった。反省はするが後悔はしていない。イレヱヌにこうして触れられるのは自分だけという事実が歯止めを効かなくさせた。自分と同じ立場なら誰だって此のようになるはずだ、と思う。

(勿論、此の立場は譲らないけどね)心の中で舌を出した。散々他の人間にばかり目を向けられていた時期からのようやっと此の関係だ。皆は指を咥えて見ていたらいい。頭の中にシリルの顔が思い浮かぶ。嫉妬に塗れ、其れでも自分の気持ちを自分の言葉で伝えられない馬鹿な奴だ。

(シリルは悔しいだろうけど、でも何も行動しなかったのはそっちでしょ?)そう思いながらイレヱヌの肌を撫でる。白くてすべらかな肌に触れるとまた欲望がもたげそうになった。

サン=ポウルまで戻る道のりで敢えてローザンヌ駅で降りた。

瑞西のローザンヌ駅から暫く歩くとレマン湖畔とシヨン城を望むことができた。

カメラで写真を収めた後にイレヱヌはほうっと息を吐く。一面に冴え冴えとした真っ青な光景が広がった。澄んだ空気の鮮烈な空の青と湖の淡く白みがかった青が混じり合って境がわからなくなっている。遠景のアルプスの山々は青みがかって今にも空の中に溶けてしまいそうだった。

“青”と表現することしか出来ないが明るい青から深い青まで入り交じる光景はシャガアルの絵画を思い出させた。その青色の世界にまるで中世からシヨン城がぽつりと佇んでいる。お伽噺の世界に迷いこんでしまったかのような光景だった。イレヱヌは胸が高鳴り思わずセシルの手に指を絡ませる。この永遠とも思える瞬間の総てをセシルと分かち合いたかった。セシルも指を絡め返してきてくれた。

「綺麗ね……」イレヱヌはようやっと其れだけを口にした。他の言葉は思い付かなかった。しかしセシルは其の在り来りな感想に頷き、「僕、此の瞬間を一生忘れないよ」と言った。

「あたしもそう思う」そう言ってそっとセシルのさくらんぼのような唇に接吻キスをした。頭をそっとセシルの肩に載せる。セシルは何も云わず優しく抱き寄せた。「ねえセシル」イレヱヌは寄り添ったまま話しかける。「なあに」「あたしも、本当は春休みが終わるのが淋しい」イレヱヌがぽつりと本音を溢す。セシルがふふっと笑って「時々授業抜け出しちゃう?」と悪戯っぽい笑いを浮かべ提案する。

「たまにお互いの部屋に泊まるとか?」イレヱヌもくすくす笑って「そんなの絶対に無理だよ」「誰かに見付かったらあたし達退学だし」と笑って答える。

「退学になったら僕が歌の仕事を頑張るよ。イレヱヌもモデルに直ぐになれるね」と冗談を続けて倒れ混む。イレヱヌはくすくすと笑った。お互いに笑い続けながら見詰め合い接吻キスを交わしていく。少しでも長く二人きりの時間を堪能したかった。

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